『ヨヘイ画集』 の修復
明治43年(1910年)に東京で出版された、スケッチ帳のような画集を修復しました。
本はA5判より少し大きめの大きさで、おもて表紙・背表紙・うら表紙が一体となったくるみ表紙でした。表紙の状態は、背表紙の天の端が少しめくれている以外は、茶色の変色や汚れが少しあるくらいで良好でした。両見返しは、おもて・うらで異なる絵入りの紙で、どちらも経年劣化の変色以外は良好でした。支持体を用いた綴じもしっかりしていて、本文紙の状態もほぼ良好でした。ただ、いくつかの折丁が前小口側にずれて落ち込み、本の背が平らでなく変形してしまっていました。それに伴い、前小口も一部が出っ張っていました。また、本の背の周辺が、うら表紙側からおもて表紙側へ向かって倒れるように丸まっていました。この本にはパラフィン紙で包まれたジャケットがついていました。ジャケットは、背表紙の天地に大きな欠損部があり、特に天の側では、書き文字風のタイトルの一部(「ヨ」と「ヘ」)が欠けていました。表紙と袖の間の折り目も切れかかっており、ジャケット全体が劣化して脆くなっていました。
依頼主の方のご要望は、① 本の背の変形の修正 ② あまり目立たない感じでジャケットの傷みの補修をする ③ ジャケットの背タイトルの欠字の再生 の3点でした。
まず、本の背の変形を修正するために、本文から一体表紙を外しました。見返し効き紙のノドを剝がして、表紙うらに貼られていた綴じの支持体(細い麻紐)を剝がし、本文背から表紙を外しました。それから、本文背の膠を落として生麩糊で背固めをし直し、落ち込んだ折丁の中央にアルミ板をはさんで背を打ち付け、折丁の背の位置の修正をしました。しかし、それだけでは背を平らに戻すのは難しく、丸み出しをするときのように、本文背を意識的にずらしながらハンマーで叩いたりすることも併用してみました。これらを何度か繰り返して、本文背が大体平らに戻ったところで、背の周辺の丸まりの逆側にガラス棒をあてがって上から重しをして何日か寝かせ、丸まり癖を取りました。かなり長い間、そのような形で置いておかれた本のようで、「こっちに来て、こっちに来て」と思いながらの修正は、まるで頑固な猫背の矯正のようだと思ったことでした。
本文背が大体平らに戻り、背の周辺の丸まりも大体解消されたところで、和紙でまとめの背貼りとヒンジの背貼りをしました。本文紙の一部にあった小さな欠損と破れは、依頼主の方との相談の結果、破れのみを補修して、欠損そのものは補填しないことにしました。それから、本文背に厚手の和紙で作ったホローチューブを貼りました。
背と平が一体の表紙は、背の部分の天のめくれを着色和紙で補修し、本文と接合しました。
両見返し効き紙のノド周りを整え、糊を引いて、表紙うらノドに貼り込みました。この本の見返しは、元々ノドだけの接着になっていたので、同じように貼り戻しました。
次は、ジャケットの補修です。
まず、天の欠損部にある欠字の再生のために、あらかじめジャケットの背や本の背表紙の書名部分をコピーしておきました。ジャケットの背のコピーの欠字部分に手書きで書き入れ、具合を見て、決定したらペンでなぞってくっきりさせておきました。
劣化して欠落しそうな背の裏側全体に、中厚の着色和紙を貼って補強しました。それから、平表紙の天地の破れや脆くなっている部分に、和紙で裏側片面もしくは裏表両面から補修しました。背の天地の欠損は、まず中央部の小さな欠損と地の部分を着色和紙で、表側から補填しました。
天は文字の端をほんの少し残した状態で欠けていたので、復元した文字とうまく繋がるようにしたいと思いました。ライトテーブルなどがあれば、欠損部の形に添うように補修紙を切り出せますが、持っていないので、少し工夫をしました。透明アクリルの仕切り棚を用意し、その下に小さな灯りを置いてみました。仕切り棚の上に欠字を書き入れたコピーを乗せ、上に透明アセテート・フィルムを敷いて補修紙を乗せて、輪郭線を水筆でなぞって喰い裂きにしました。そのあと、アクリル絵の具を使って、手書きで欠字を書き入れました。その後、天の欠損部に貼り込みました。
背も含めて表紙部分の補修が終わってから、ジャケットを本に着せて、具合を見ながら袖の部分の補修をし、最後に、袖の折り山全体を薄い和紙でカバーしました。
背の補修に使用した着色和紙の色味が少し濃かったのではないかと、心配しましたが、依頼主の方に良い感じの古色と言っていただき、安堵しました。
記録の公開をご快諾くださった依頼主の方に感謝いたします。
修復・記録 : 安藤喜久代